本人にとっては「現実」として認識される
プロの詐欺師の言葉に、
「人を騙そうとするのではなく、まず自分を騙す。
例え真実と違った事も、あたかも現実の事のように認識して振る舞うと、周囲も同じように信じてしまうだろう」
という話があります。
自分にとってより有利な立場に立ちたいが為に、
それが例え多少滑稽に映ったとしても、自分の中で都合よく解釈する事があります。
この厄介な“解釈”、それは偽るのとは違います。
詐欺師のように自分を“騙す”事より更に上です。
どんなに無理がある解釈でも、自分の中では完全に“真実”として認識されて、
周囲にもその“真実”を主張します。
騙そうというよりも、起きた事をそのまま話すかのように主張するので、輪を掛けて説得力が増してきてしまうのです。
解釈は人の存在すら消す事ができる
健常者であるAさんと、問題のある人Bさんがキャッチボールをしていたとします。
まず、AさんがBさんにボールを投げます。
ボールを受け取ったBさんに偶然、Aさんよりも仲の良い健常者Cさんが現れました。
BさんはCさんとキャッチボールを始めました。
当然、Aさんは不審に思います。
後日、Bさんにとって、「元々キャッチボールをしていた相手はCさんだった」
と記憶が書き換えられてしまい、Bさんにとって「現実に起きた事」として記憶されます。
脳がそう解釈しきってしまうのですから、当然ながらそれを信じて疑いません。
これは極端な例ですが、
もうBさんにとっては、その場にAさんなど存在していなかった事にだってできるのです。
そして、本当ならそこに居たのにも関わらず、そこに居なかった事として周囲に認識されてしまった状況で、
「Bさんとキャッチボールをしていた」などと証言するAさんは、“ワケのわからない事を言っている人”として判断されてしまいます。
あらゆる出来事を自分の都合に合わせて解釈して、周囲も信用させる。
言葉巧みに、表現豊かに。
自分の中で真実として認識されているので、
感情に身を任せて、大粒の涙を流して泣いて訴えかける事だってあります。
そんな状況を目の当たりにすれば、多くの人は信用してしまいます。
人は、手や足といった意識して動かせる部分より、
汗や涙といった自分の力でコントロールする事の難しい部分を使って表現されると、感情が揺れ動きます。