その時点で視野が狭い思考
ここを読んでいるあなたは、「死にたい」と思っている方ですか?
「死にたい」と思っている時点で、既に大変視野の狭い思考です。
世間を何もかも知ったかのような感覚になり、
しかしある一つの側面でしか物事を捉えていないから、そういった結論になってしまうのです。
「あんたに何が分かるっていうんだ?」
とお思いなられたでしょうか。
もちろん私はあなたの事を知らないし、まして事情など知る由もありません。
いったいどういった経緯で絶望に陥ったのかも知りません。孤独かどうかも分かりません。
私が分かっているのは、今この文章を読んでいるあなたが、少なくとも現時点では、確実に、“生きている事”くらいです。
でも、その“生きている事”こそが重要です。
どこかの偉人が、「あなたの出会う最大の敵は、いつもあなた自身であるだろう」と説いていますが、私はそうは思いません。
「敵」という表現がネガティブなワードとなって自分を突き落とす可能性から守る事が大切です。
あなた自身はあなたの敵には、絶対にならないのです。
あなたが前に進もうとする事を邪魔してくる事は多々あると思います。でもそれはあなたが越えるべき「壁」をハッキリ示してくれているという事です。
これは敵ではありません。トレーナーです。あなた自身こそ、最大のトレーナーであると思っています。
トレーナーとは、自らを鍛え、レベルを今より上へと昇る事を助けてくれる存在です。
あなたが現在、どのような事から陥った絶望なのかは分かりませんが、
あなたが生きている時点で、あなた自身の力で絶望から抜け出し、
少なくとも今よりも上へとレベルを上げる事が可な筈です。
投げ槍になるなら、いっその事、その「槍」そのものになればいい
現代はインターネットが発達し、他人と関わる事が非常に容易です。
snsなどで、あなたの価値観を発信していれば、必ずそれに賛同する人が現れます。
思い返してみれば、私は幼少の頃、いじめられ、登校拒否になってしまったり、中の良い友達はみんな引っ越してしまったり、
親友は自殺し、親はリストラされ、
給食の残飯を持ち帰って家の食料にするような生活を送り、
親と一緒に焼き芋を売って回って、それでも大人になってどうにか就職し、
順調に進んでいると思っていたのに、やっとの思いでできた恋人には遊ばれていた事を知り、そこから体調を崩し入院、、、
死にたいとまではハッキリ思わないしろ、生きている事に絶望していました。
でも、自分が感じている世界観は、
とても視野の狭い中で感じた事だったと知り、
もっと自分の知らない世界がたくさんあるんだという事が分かったのです。
それからは、もっといろいろな物が見たいと思うようになりました。
趣味や仕事やインターネットを通して、もっと他人と関わる事により、
そこには今まで自分が知らなかった世界や価値観が存在することを知ったのです。
それは物理的な、視覚的なものだけでなく、
物の考え方や、情熱といった、感情に訴えるような背景に触れたりして、私はどんどん心が活性化していきました。
生きることに投げ槍になっているのであれば、いっその事、その「槍」そのものになって、飛び回ればいい。行きたい所へ、行ってやる。
見た事の無い景色をたくさん見て、
そこに居る色々な人間を見て、
そして“あの世”は最後に行けばいい。
「逝きたい」は、気づけば「生きたい」へと変わっていました。
前に進んでください
あなたが、自分の力で呼吸をして、自分の力で考えて、自分の力で意見してるなら、
何より「生きたい」という意思そのものがあれば、絶対に巻き返しが可能なのです。
「死にたい」「自殺願望」という思いは、「生きたい」と思うのと同じレベルの強力なエネルギーなのです。
そのエネルギーを活かすことが出来れば、何でもできるはずなのです。
ちなみに私はそこまで強力なエネルギーは持っていません。
「死にたい」なんて、とても恐ろしくて出来ません。
あなたが少しでもそんな願望を抱いたなら、まずこの私よりは「生きよう」とするエネルギーが格段に強いという事になります。
テレビのニュースで流れている事だけが世の中の全てだと思ったら大間違いです。
世の中は知らない事だらけで、実際にあなたの目耳で見たり聞いたりする事でしか分からない事がたくさんあります、
いや、実際に確認しないとわからない事しかないのです。
魚で言うところの、肉の部分だけを食べて、「私は魚の味を知った」と言っているようなものです。
魚には血合いや目玉・内臓といろいろあるように、一つの物事を様々な視点で見る事により、新たな発見は無限にあるのです。
あなたは私を知らないでしょうが、私はあなたの起こした行動を、少なくとも、一つだけは知っています。
「ここに来た」という事です。
ネットでこのキーワードに検索がかかり、ここにたどり着いて、このコラムを読んでくれています。
これも一つの「誰かと繋がった」という事なのだと思います。
私はそれを心から感謝しております。どうか命を粗末に扱わずに、前に進んでください。
他にもコラムを掲載していますので、新たな考え方の参考になれれば幸いです。